金額の数字ばかりに目を奪われた日々
お菓子づくりを学ぶ場をあれこれと探しはじめたころの私は、まず案内のあちこちに並ぶ金額の大きさにばかり心を奪われてしまい、その奥にある肝心の中身を深く見つめることを、すっかり忘れてしまっていました。
少しでも負担の軽いところを選び取ることこそが、賢く堅実で間違いのない判断なのだと頭から思いこんでしまい、そこで何をどこまで学べるのかという、本来ならいちばん肝心であるはずの点を、つい後回しにしてしまっていたのです。
数字の安さだけをよりどころにして選んでいると、本来そこで得られるはずだった豊かな経験や、二度とは戻らないかけがえのない時間そのものの値打ちが、いつの間にかすっぽりと視界から抜け落ちてしまいます。
あとになってから静かに振り返ってみれば、目先の金額にばかり縛られていたあのときの選び方こそが、のちのちまで残る小さな後悔の芽を、自分でも気づかないうちにじわじわと育ててしまっていたのだと、はっと気づかされました。
支払う金額と、その対価として受け取ることのできる学びの中身とを、同じ一つの天秤の上にのせてじっくり見くらべていくという視点を、当時の私はまだ少しも持ち合わせてはいなかったのだといえます。
今になって思えば、その視点の欠けこそが、長い遠回りの本当の出発点だったのかもしれません。
案内に並ぶ金額をながめているだけでは、その場でどんな材料にふれ、どれほど手を動かせるのかという肝心の手応えまでは、けっして伝わってはこないのだということに、当時の私はまるで気づいていませんでした。
はじめのうちは、安い場をうまく見つけられたことにすっかり満足してしまい、その満足感が肝心の中身への問いを覆い隠してしまっていたのだと、いまになって静かに振り返ることができます。
安さを優先して取りこぼした学びの厚み
費用の軽さだけを頼りにして進んでいったその先で、私はやがて、設備の充実ぶりや指導の手厚さに、思っていた以上の大きな差が静かに横たわっているという現実に、はっきりと正面から直面することになりました。
実習で実際に手にできる材料や道具がかぎられていると、ほんとうは試してみたいと思ったことを思うように試せず、自分の手で一から形をつくり上げていくという、お菓子づくりの肝心な経験そのものが、どうしても薄くなってしまいます。
ていねいに見てもらえる時間が短ければ、つまずいてしまった本当の理由をその場ですぐに正してもらう貴重な機会を逃してしまい、もやもやとした疑問を胸に抱えこんだまま、次の工程へと進んでいくことになってしまいます。
そうした目に見えにくい小さな取りこぼしが、日々少しずつ静かに積み重なっていくと、本来であればしっかり身につくはずだったお菓子づくりの厚みが、自分でもまるで気づかないうちに、じわりじわりと削られてしまうのです。
安さという、はじめは心地よく響いていた言葉の裏側にひっそりと隠れた、見えにくい代償の重さにようやく気づいたとき、私は学費というものの本当の意味を、生まれて初めて真剣に深く考えはじめることになりました。
安いという理由だけで選んだ道は、ときに最も高くついてしまうのだと、身をもって教えられた思いでした。
お菓子づくりという営みは、ほんの小さな工程の積み重ねでできあがっているからこそ、その一つひとつをていねいに学べる場かどうかが、最後の仕上がりを大きく左右していくのだと、遠回りの末にようやく腑に落ちたのです。
指導の手が行き届かない場では、つまずいた理由をひとりで抱えこんだまま先へ進んでしまいがちで、もやもやとした疑問が積もるほどに、お菓子づくりへの自信は少しずつしぼんでいってしまいます。
釣り合いを見て選び直した先の納得
学びの中身と費用とを並べて見くらべるようになってから、私が手にしていたものさしは、ただ数字の大小だけをそっけなく測るものから、ぐっと奥行きと深みのあるものへと、大きく確かに変わっていきました。
支払う金額に対して、自分がいったいどれだけ実際に手を動かす機会を得られるのか、そしてどれだけていねいに、ひとりの学び手として導いてもらえるのかを、感情に流されることなく冷静に確かめる習慣が、少しずつ身についていったのです。
釣り合いという新しい視点をもって製菓の学校を見つめ直してみると、たとえ多少は費用がかさんでしまったとしても、そこで得られる経験の豊かさがそれをじゅうぶんに上回る場が、確かに存在しているのだとはっきり分かりました。
心の底から納得して選んだ場で過ごす時間というものは、一日いちにちが充実感にあふれて満たされ、自分が払った費用がしっかりと確かな力へと変わっていく、まぎれもない手応えにやさしく包まれていました。
値段と価値の釣り合いを、ほかでもない自分自身の目で見きわめていく力を持てたことこそ、長い遠回りの末にようやくたどり着いて手にした、何ものにも代えがたい大切な収穫だったといえます。
遠回りは決して無駄などではなく、確かなものさしを手にするための、必要な道のりだったのだと今は思えます。
費用と中身を見くらべる目を持てたことで、ほかの人の評判にむやみに振り回されることもなくなり、自分にとって本当に必要な学びはどこにあるのかを、落ち着いて静かに見定められるようになっていきました。
納得して選んだ場で過ごす一日いちにちは、払った費用が確かな力へと変わっていく手応えに満ちており、お菓子づくりへ向かう気持ちも、これまでになく前向きに保たれていきました。
まとめ
金額の安さだけを頼りにして突き進んでしまったあの長い遠回りは、学費と学ぶ価値の釣り合いという、とても大切なものさしの存在を、私に静かに、そしてはっきりと教えてくれました。
支払う費用と、その場で受け取ることのできる経験の厚みとを、同じ一つの天秤の上にのせてていねいに見くらべていくことで、選択はぐっと納得のいく、後悔の少ないものへと自然に変わっていきます。
お菓子づくりに本気で向き合っていきたいと願うのなら、目の前の数字の手前でいったん立ち止まり、その中身そのものまでていねいに確かめようとする姿勢こそが、のちの後悔をそっと遠ざけてくれます。
釣り合いを見つめる確かな目を一度しっかりと手に入れてしまえば、これから先に続いていく学びの道のりは、きっと迷いの少ない、明るく晴れやかなものになっていくはずです。
値段の手前で立ち止まる習慣は、お菓子づくりにかぎらず、これから先のさまざまな選択の場面でも、自分を後悔から遠ざけてくれる確かな知恵として、静かに役立ち続けてくれるはずです。
