見て学ぶという行いに潜む落とし穴
ほかの作り手のお菓子に触れることは、自分の仕事を広げていくうえで欠かせない習慣になっています。それでもこの学び方には、気をつけておかなければ足をすくわれる落とし穴がいくつも潜んでいます。
最も陥りやすいのは、目に見える部分だけを写し取って分かった気になってしまうという道筋です。飾りの並べ方や色の合わせ方は真似やすいものの、その奥にある考えまでは決してついてきません。
形だけを持ち帰ると、なぜそうしているのかという理由が抜け落ちたまま手元へ残ることになります。理由のない形は少し条件が変わっただけで崩れてしまい、応用の効かないものになってしまいます。
自分の店の成り立ちと噛み合わないものを持ち込んでしまう危うさにも、注意を向けておきたいところです。よそでうまくいっていた組み立てが、そのまま自分の場所でもうまく働いてくれるとは限らないからです。
訪れる人の顔ぶれも、扱える素材も、道具の並びも、店ごとにまるで違っているのが当たり前です。その違いを踏まえずに形だけを移し替えると、どこかちぐはぐな印象を与えてしまうことになります。
学んだつもりで写しただけになっていないかという問いは、常に自分へ向けておく必要があります。この問いを手放してしまうと、いつの間にか自分の考えが薄れていくということが起こりかねません。
作り手への敬意を欠いたまま形をなぞる行いは、周囲からの信頼をも損なってしまう危険があります。何をどこから受け取ったのかを自分の中ではっきりさせておくという誠実さが、ここでは強く求められます。
とはいえ外の世界へ目を向けることをやめてしまえば、自分の仕事は静かに閉じていくことになります。だからこそ見方そのものを鍛えていくという道を、自分で選び取っていかなければならないのだといえます。
本当に見るべき場所はどこにあるのか
ほかの人の菓子を前にしたときに見るべきなのは、目に映る形そのものよりも組み立ての理由のほうです。なぜこの素材が選ばれ、なぜこの並びになっているのかを考えることに、学びの中心が置かれています。
何を足したのかよりも、何を足さずに済ませたのかという引き算に目を向ける視点も大切になります。あえて加えなかったという選択の裏側にこそ、その作り手の考えが最も濃く表れているといえるからです。
口へ入れてから飲み込むまでの短い間に、何がどの順番で届いてくるのかを追いかけることも有効です。最初に立つ香り、次に広がる味わい、最後に残る余韻という流れには、必ず狙いが込められています。
その菓子がいったいどんな場面のために置かれているのかを想像することも、大きな手がかりになります。誰と誰の間に置かれる菓子なのかを考えてみると、大きさや甘さの意味までも自然と見えてくるからです。
見た目の華やかさに気を取られていると、こうした部分は視界からするりと抜け落ちてしまいます。目立つ要素ほど覚えやすいという性質があるため、意識して奥のほうを見にいく構えが必要になります。
製菓を学ぶ学校の授業でも、ほかの人の作品を見て気づいたことを言葉にする時間が設けられます。見て終わりにせず、必ず言葉へ置き換えるという手順が、理解を確かなものにしてくれるからです。
気づいたことをその場で短く書き留めておく習慣も、あとから思い返すときに大きく効いてきます。記憶は都合のよいように形を変えてしまうため、生の印象を残しておく価値はきわめて大きいといえます。
こうして深いところを見にいけるようになると、同じ一つの菓子から受け取れる量が変わってきます。表面をなぞるのではなく、その奥にある判断まで届く目を育てていくことが求められているのです。
受け取った学びを自分の菓子へ結び直す
外から受け取った学びは、そのままの形ではなく、自分の菓子へ結び直したときに初めて意味を持ってきます。気づいた考え方をいったん取り出し、自分の場所ではどう形になるのかを問い直す作業が欠かせません。
同じ考え方であっても、扱う素材や訪れる人が違っていれば、行き着く形はまるで別のものになります。その違いを恐れずに引き受けることこそが、真似と学びを分ける境目になっているといえるでしょう。
一度にすべてを取り入れようとせず、まずひとつだけ試してみるという進め方も、たいへん理にかなっています。多くの部分を同時に変えてしまうと、何が効いたのかが分からなくなってしまうという問題が起きます。
取り入れたあとで自分の菓子が本当に良くなったのかどうかを、落ち着いて改めて確かめることも大切です。良くなっていないと感じたなら、その学びは今の自分には合っていなかったというだけのことです。
合わなかった学びを無理に抱え込む必要はなく、いつか役に立つ日が来るまで置いておけばよいのです。しかるべき時期が来たときにその考え方が急に生きてくるということも、実際にしばしば起こっています。
自分の言葉へ置き換えて記しておくと、その学びは時間が経っても取り出せる形で残ってくれます。借りてきた言い方のまま置いておくと、いざ必要になったときにうまく引き出せなくなってしまいます。
外から受け取ったものと自分の中から出てきたものとを、区別しておくという整理も欠かせません。この線引きが曖昧になってしまうと、自分の考えの輪郭までもがぼやけていってしまうことになります。
そのうえで自分の菓子として堂々と差し出せるところまで作り替えられれば、それは学びの成果です。誰かの仕事に触れて心を動かされた気持ちを、自分の形へ変えていく道のりこそが学びだといえるでしょう。
まとめ
ほかの作り手の菓子に触れることは欠かせない習慣である一方で、いくつもの落とし穴が潜んでいる行いでもあります。目に見える部分だけを写し取って分かった気になってしまうという道筋は、最も陥りやすいものだといえるでしょう。
形だけを持ち帰ってしまうと、結局はどうしてそうしているのかという理由が抜け落ちたまま手元に残ることになります。理由を伴わない形は条件が少し変わっただけで簡単に崩れてしまい、応用の効かないものになってしまうからです。
本当に見るべきなのは、なぜその素材が選ばれ、なぜその並びになっているのかという組み立ての理由のほうでした。何を足さずに済ませたのかという引き算や、口へ入れてから届いてくる順序にも、作り手の考えが表れています。
受け取った学びは、そのままの形ではなく、自分の場所ではどう形になるのかを問い直してこそ意味を持ちます。一度にすべてを試すのではなく、ひとつずつ確かめていくという進め方が、確かな手応えを運んできてくれます。
外から受け取ったものと自分の中から生まれたものを区別しておくという整理も、忘れずにおきたいところです。誰かの仕事に触れて動かされた気持ちを自分の形へ変えていく道のりこそが、学びと呼ばれるものなのでしょう。製菓学校のことならこちら
