気づかないうちに表れてしまうもの
同じ作り方を丁寧になぞっていても、仕上がったものには作った人それぞれの色が必ず現れてきます。手を動かした本人にはまるで見えていない部分に、その人らしさがいつの間にか滲み出てきてしまうのです。
この滲み出てくるものを、多くの現場では癖と呼んでおり、良くも悪くも扱われる存在になっています。個性という言葉で肯定されることもあれば、偏りとして直すべきだと周りから指摘されることもあります。
癖という言葉にはどこか直すべきものという響きがありますが、実際にはそれほど単純ではありません。同じ傾きが、あるお菓子では魅力として働き、別の菓子では邪魔になるということが起こるからです。
厄介なのは、そもそも癖というものが自分ではきわめて気づきにくい場所に置かれているという点にあります。毎日繰り返している動きほど当たり前になってしまい、疑いの目を向けることが難しくなってしまいます。
自分の手が少しずつ同じ方向へ寄っていることに、何年も気づかずにいるということも起こります。誰かに指摘されて初めて、そういえばそうかもしれないと思い当たる場面は決して珍しくありません。
だからこそここで一度立ち止まって、自分の癖がいったいどこに出ているのかを確かめてみてほしいと思います。知らないまま抱えているのと、知ったうえで抱えているのとでは、その後の道筋がまるで違ってきます。
癖を知るということは、自分の菓子がなぜそのような顔をしているのかを理解することにつながります。理由がはっきり分かれば、そこを伸ばすのか抑えるのかという選択を自分で握れるようになっていきます。
確かめるという作業には多少の気まずさが伴いますが、それを越えた先には確かな手ごたえがあります。自分の輪郭がはっきりしてくるという経験は、作り手にとって大きな支えになってくれるからです。
癖がとりわけ顔を出しやすい場所
癖が最もはっきり表れやすいのは、甘さをどのあたりに置くのかという味わいの重心の取り方になります。控えめに寄せる人と、しっかりと立たせる人とでは、同じ組み立てでも印象がまるで違ってきます。
焼き色をどこまで深めていくかという判断にも、その人自身の好みがはっきりと顔を出すことになります。もう少しという一歩を踏み込む人と、その手前で止める人とでは、香りの立ち方が大きく変わってきます。
酸味や塩気をどのように使うかという点も、とりわけ癖の出やすい場所としてよく知られているところです。隠し味として静かに置く人と、輪郭として前へ出す人とでは、後味の残り方が別のものになります。
手つきそのものにも癖は宿っており、混ぜる速さや力の入れ方に、その人の普段の性格が表れてしまいます。急ぎがちな人の生地と、じっくり構える人の生地とでは、含まれている空気の量までもが違ってきます。
盛り付けや飾りの置き方には、無意識のうちの偏りがとりわけはっきりと現れてくることがあります。いつも同じ側へ寄ってしまう、いつも同じ角度になるといった傾きは、自分では気づきにくいものです。
切り分けるときの厚みや、粉を振るときの手の動かし方にも、その人らしさは実に静かに深く宿ります。ほんのわずかな差であっても、いくつか並べてみると同じ人の手であることがすぐにはっきりと分かります。
何を省いて何を足すのかという判断の傾きも、繰り返されているうちにやがて一つの癖になっていきます。いつも同じところを丁寧にし、いつも同じところを軽く済ませているということが起こりがちです。
製菓を学ぶ学校では、同じ課題に取り組んだ人たちの作品を並べて見比べる機会がしばしば設けられています。同じ手順から生まれたはずのものがずらりと並ぶことで、それぞれの傾きがくっきりと浮かび上がります。
癖と長く付き合っていくための構え
自分の癖を確かめるためには、まず作ったものを続けて並べてみるという方法がとても役に立ってくれます。日をまたいで作ったものを一度に見渡すと、繰り返されている傾きが目に入ってくるようになります。
自分の手元を少し離れた場所から眺めてみるという工夫も、気づきを大いに助けてくれることになります。手を動かしている最中には見えないものが、少し距離を取ると急に見えてくることがあるからです。
誰かに見てもらい、率直な言葉をもらうという方法は、最も確かな手がかりを運んできてくれます。自分では当たり前だと思っていた部分に、外からの目が真っ先に反応してくれることが多いのです。
指摘を受けたときに、すぐには否定せず、いったんそのまま受け取っておくという構えも大切になってきます。心当たりがまるでないと感じたことほど、後になって思い当たるということがしばしば起こるからです。
見つかった癖をすべて直そうとするのではなく、まずは書き出して眺めてみることを勧めたいです。書き出して並べてみると、そこには一つの筋が通っていることに気づかされる場合が少なくありません。
その筋こそが、自分がいったいどんな菓子を良いと感じているのかを示している道しるべになっています。癖をすべて消してしまうと、その大切な道しるべまで一緒に失ってしまうということが起こりかねません。
抑えるべき癖と伸ばすべき癖を仕分けるうえでは、菓子ごとの狙いに立ち返ることが助けになります。その菓子で目指している場所に合っていれば伸ばし、合っていなければ抑えるという判断になります。
癖と付き合っていくという構えは、自分の手を信じつつ、同時にそれを疑うという難しい姿勢を求めてきます。それでもこの往復を続けていける人が、結局のところ長く作り続けられる作り手になっていくのだと思います。
まとめ
どれほど同じ作り方を丁寧になぞっていても、仕上がったものには作った人それぞれの色が必ず現れてくるものでした。手を動かした本人にはまるで見えていない部分にこそ、その人らしさがいつも静かに滲み出てきてしまうからです。
癖がとりわけ表れやすいのは、甘さの重心の置き方や、焼き色をどこまで深めていくかという判断のあたりになります。手つきの速さや飾りの置き方、切り分けるときの厚みにも、その人らしさは知らないうちに静かに宿ることになります。
厄介なのは、そもそも癖というものが作り手自身にはきわめて気づきにくい場所に置かれているという点にありました。毎日繰り返している動きほど当たり前のものになってしまい、疑いの目を向けることが難しくなってしまうからです。
確かめるためには、日をまたいで作ったものを並べて見渡し、誰かに率直な言葉をもらうという方法が有効です。指摘を受けたときにすぐに否定せず、いったんそのまま受け取っておくという構えもあわせて求められることになります。
見つかった癖をすべて消してしまうと、自分がいったい何を良いと感じているのかという道しるべまで失いかねません。抑えるべき癖と伸ばすべき癖を丁寧に仕分けながら、これからも自分の手と長く付き合っていってほしいと思います。
