はじめに訪れる分かりやすい手ごたえ
上達したと感じられる瞬間には、いくつかの段があり、訪れてくる順番もおおよそ決まっています。最初にやってくるのは、目に見える形がきれいにそろうようになったという分かりやすい手ごたえです。
同じ大きさに切り分けられるようになった日や、焼き色がそろうようになった日のことは、よく覚えているものです。ばらばらだったものが整然と並んだ光景には、思わず声が出てしまうほどの大きな喜びが確かにあります。
作るのにかかる時間が以前より短くなってきたと気づく瞬間も、この段に置かれる代表的な出来事です。手が迷わなくなったぶんだけ流れが滑らかになり、同じ工程がずいぶん軽く感じられるようになります。
道具の扱いが体になじんでくるという変化も、比較的早い時期に訪れてくれる手ごたえになります。持ち替えるたびにいちいち考えていたものが、いつの間にか手のほうで判断してくれるようになるのです。
こうした段は目に見える形で現れるため、自分でも周りの人にも分かりやすいという特徴があります。分かりやすいからこそ喜びも大きく、次へ進もうという気持ちを強く後押ししてくれることになります。
ただしこの段の手ごたえは、繰り返した回数によってかなりの部分が説明できるものでもあります。時間をかけて手を動かし続けてさえいれば、多くの人が同じようにたどり着ける場所だといえるでしょう。
そのため、この段だけで自分の力を測ってしまうと、その先で足踏みしてしまうことにもなります。形がそろうということは出発点であって、目指す場所そのものでは決してないと知っておく必要があります。
製菓を学ぶ学校でも、まずはこの段を確実に踏むところから積み上げていくように組まれています。土台となる部分だからこそ、急がずにしっかりと丁寧に重ねていくことが後々の伸びを大きく支えてくれます。
その次にやってくる静かな変わり目
二つ目の段としてやってくるのは、うまくいかなかった理由が自分で分かるようになるという変化です。以前は原因の見当もつかなかった失敗について、どこで何が起きたのかを言えるようになってきます。
この段に入ってくると、同じ失敗を繰り返す回数が目に見えてはっきりと減っていくということが起こります。次に同じ場面へたどり着いたときに、あらかじめ手を打っておけるようになるからだといえるでしょう。
その日の条件に合わせて手元を自分から細かく調整できるようになるという変化も、この段に含まれています。気温や素材の様子を見ながら、決められた手順から少しだけ離れるという判断ができるようになります。
手順に従うのではなく、手順の意味を理解して動くという構えへ、少しずつ移り変わっていきます。この移り変わりは静かに起こるため、本人が気づいたときにはすでに変わっていることが多いのです。
自分の作ったものに対して、どこが良くてどこが足りないのかを言えるようになるのもこの段です。以前は何となく良いとしか思えなかったものを、いくつかの部分に分けて語れるようになっていきます。
誰かに教えられるようになるという変化も、この段の終わりごろにようやく訪れてくることになります。人へ説明できるということは、自分の中で理解がきちんと整理された証だと考えることができるからです。
この段の手ごたえは目に見えにくく、周りの人からはなかなか分かってもらいにくいという難しさがあります。それでも作り手本人にとっては、最初の段のときよりもはるかに深い喜びを伴う変化になっていきます。
この段まで来ると、自分の菓子について語ることのできる言葉が急に増えてくるということも起こります。語れるようになったという事実そのものが、力がついてきたことのひとつの目安になってくれます。
最も奥のほうに置かれている気づき
最も奥のほうに置かれている段は、ほかの人のお菓子の良さが分かるようになるという気づきになります。以前はまるで目に入らなかった細やかな判断が、はっきりと見えるようになってくる瞬間がある日訪れます。
この段に至ると、ほかの人の仕事を見て素直に心から感心できるようになるという変化も生まれてきます。自分と比べて落ち込んでしまうのではなく、そこから何を受け取れるかを考えられるようになるのです。
自分が何を目指しているのかを言葉にできるという段も、この奥のほうへ置かれることになります。技術そのものの話ではなく、どんな菓子を良いと思うのかという価値の話ができるようになってきます。
決められた道からあえて外れるという判断を、理由を持って下せるようになることもこの段の特徴です。何を守り何を崩すのかという線を、自分の責任で引けるようになったということを意味しています。
分からないことが以前より増えたと感じるようになるのも、この段でよく語られる不思議な感覚です。見える範囲が広がったぶん、その先に横たわる未知の広さまでいっそう見えるようになってしまうからです。
この段の気づきは、順位で並べるとすればおそらく最も上に置かれるものだといえるのかもしれません。ただし上に置かれているからといって、そこまでの下の段が要らなくなるということでは決してありません。
むしろ最初の段で身につけた手の確かさが、上の段での判断を支えているという関係になっています。形をそろえる力が備わっているからこそ、あえて崩すという選択にも確かな意味が生まれてくるのです。
上達というものは階段をただ上がっていくことではなく、同じ場所を何度も通り直すことに近いといえます。かつて通った段へもう一度戻ったときに、以前とは違うものが見えるという経験が繰り返されていきます。
まとめ
上達したと感じられる瞬間には実はいくつもの段があり、その訪れてくる順番もおおよそはっきりと決まっているものでした。最初にやってくるのは形がそろい、時間が短くなり、道具が体になじんでくるという分かりやすい手ごたえです。
二つ目の段としてやってくるのは、うまくいかなかった理由を自分の言葉で説明できるようになるという変化でした。その日の条件に合わせて手元を自分から細かく調整できるようになり、人へ教えられるようにもなっていく段だといえます。
最も奥のほうに置かれているのは、ほかの人の菓子の良さがはっきりと見えるようになるという気づきの段になります。自分がいったい何を目指しているのかを言葉にでき、道からあえて外れる判断を理由を持って下せるようにもなります。
分からないことが以前より増えたと感じるようになるのも、この奥の段でしばしば語られる不思議な感覚でした。見える範囲が広がったぶん、その先に横たわっている未知の広さまでいっそう見えるようになってしまうからなのでしょう。
上の段に至ったからといって、それまでに一つずつ踏んできた下の段が要らなくなるということは決してありません。形をそろえる力があるからこそ、あえて崩すという選択にも意味が生まれてくるのだと考えることができるでしょう。
